主に文芸書などの読後感想をメインに
独断と偏見大いにありで呟いていこうと思います。
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今並行して読んでいるのは、シュタイナー講演集の「オカルト生理学」。人間生理学の基本のような気がする。何度目かの通読挑戦だが、読むたびに納得することが多いのも不思議である。
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昭和9年生まれの文豪だ。初めて手にした筑摩文学全集だ。安心して読める、私小説と言っていい。今までいかにミーハー的な発想で本を読んでいたかを知ると恥ずかしい限りである。いや、まだこれからが本格文学人生かと考えればいい。お疲れ様(笑い)。
日本文学全集の漱石2巻目。「それから」を読みはじめた。読んでいなかったことに気づく。なんでもない日々の描写がなぜか共感を呼ぶ。
仏教とキリスト教の簡単な違いなど、読み返しているが、解脱と、復活?何度読んでも鮮明に理解困難である。いつかその日が来るのを信じて。
漫画から大河ドラマに発展したり、十代作家が跋扈する楽しい世の中ではありますが、これからは高齢化世代。読み手も書きても、シニア世界になるような気がして…。ある意味で楽しみではありますね。
新聞を読もうと思うのだが、読むべきものや記事がない。今読売新聞で目を通しているのは、編集手帳だけだ。それで約毎月4000円!マンションなど新しい住人の集合住宅でも、新聞を取っているのはほんの1割もいないといっていた。スマホやパソコンで済ましているからだろう。私もそうである。付き合いだけでの経費はもったいないと思う。半世紀前に戻るつもりで隅から隅まで読んでみようかと思うのだが、時間が足りないのは自分だけだろうか、読みに値する記事が見当たらないのは単に怠け癖の言い訳、食べず嫌いなのかもしれない。
いま「天秤」はほぼ休刊中だ。短編ならネットで十分と思っていたからだが、やや雑誌を発行するということと創作のみとは意味が違うようである。わかっていたのだが、費用もかかる出版は敬遠されてきた。でも、仲間と一緒にワイワイガヤガヤが、やはり楽しい。余生、その方向でいきたいと思う今日この頃でありました。
丸山健二、清岡卓行ほかの全集ものだ。やはりはやりもの文学なのか。前者はまだ若い。バイクを駆使した作家として颯爽と登場した芥川賞受賞作家だ。「夏の流れ」、「赤い目」とか最初のころは夢中になって読んだものだ。好きな作家だったからこちらの同人誌を送ってみたことがある。何の反応もなかった。小檜山博さんは丁寧な返事をくれた人であった。もっと息の長い作家活動を見たいものだが、自然消滅しているような気がする。どちらでもいいが、良い本を出そうとする編集者の貧困さが、AKB48作家ばかりを狙っているようで、寂しい出版界になっているような気がする。私は以前、いわゆる出版ゴロ(ツキ)にはめられたような記憶がある。本を出しませんか?ただし500部は購入してください!といったたぐいだ。もちろんその時は断ったが、以来何の交流もない。ただ、いまだに全国図書館の蔵書にしてもらっただけでも、ありがたい、感謝の出来事だったとうれしく思う次第であります。当時の担当編集者さん、ご健在なのだろうか、500部購入しなくてごめんなさい。
1に睡眠2にストナなんて宣伝のつもりはないが、高齢近くになると、すぐに眠くなる。睡眠不足だと思う。だからいつも自分に課した読書ができていない。本を読んで少しでも日々の糧にしたいのだが、最後に割愛するのは読書だ。しっかりと熟睡して、明るいうちはすべき仕事をしたいと思う、いや決意するこの頃である。
最近俳優志願という24歳の若者と接触があった。こちら高齢者が同格に話すということも愚かとは思ったのだが、チェックすべきするであろう俳優の名前さえ知らない、そして演劇の基本たる文学の知識すらない、そんな彼であった。私のそのころは、多くの俳優志願者や文学志向者などとかかわったものだが、彼らはこちらが圧倒されるほどの知識があり、情報を収集しており、日々寝ないで勉強している者が多かった。彼らすべてが大成したわけではなかったが、むんむんとしたうれしいほっとするようなオーラを感じたものだった。その接触のあった彼もきっと大成するであろう雰囲気をしていたのだが、これが今どきの俳優業の助走スタンスだとすると、活字が漫画に凌駕された時期に似ているような気がしたものである。