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主に文芸書などの読後感想をメインに 独断と偏見大いにありで呟いていこうと思います。
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(この掌編は第14回(4000字)短編恋愛小説「深大寺恋物語」公募に応募し、フォーマットに合致できなくて、入口で一切読まれずに落選したものです。どうぞ御笑覧くださいませ。)

カラスのつがいらしき二羽が男の視界に入る。曇り空にはよく似合う鳥だとつくづく思う。薄紫色したアジサイの群落を、フェンス越しに眺めた後、参道を歩く。バスが異様に大きな排気音を立てて男の横を通り過ぎた。以前なら「無粋者めが」と、呟くのだが、今は黙って流れに譲る。
 
 これから久しぶりの敬虔な時を持とうとする七十二歳の男だった。地元にいて四十年以上にもなるのに、この日何度目かの深大寺山門をくぐるのだ。今更、元三大師に何を祈願するのだろう。高齢者の新しい恋の成就を願うのか二羽のカラスのように。いや霊験あらたか天台宗深大寺に祀られている良源こと元三大師様に新しい日々生活の報告を兼ね、先に亡くなった者たちへのレクイエムが目的だった。
 
 長年愛した伴侶を三年前に亡くし、既に男の親兄弟はすべて他界していた。今はご多分に漏れず、住まいのない一人暮らしで一年ほどたつ。目の中に入れて育ててきた一人息子は社会人になったいま海外で活動。出来の良い子供を生んでくれた妻に感謝だったが、そんな子に負担はかけられまい。だから人生謳歌の後生楽、悠々自適、開き直りのホームレスを選択したのだ。

 早朝の日課である自動販売機周辺を回り、取り忘れの釣り銭を物色した後、地域一帯古着ゴミ出し日の仕事。まだまだ着られる服を選んでいたところを巡回の警官に尋問されライターを持っていただけで昨今頻発していた放火の犯人と疑られ、昼までかかって取り調べされていたのだった。

 梅雨空、梅雨寒という嫌いな言葉を自分の肌から払拭しながら深大寺小学校前の交番から神代植物公園入口沿いを通り、ここまで来たのである。青筋アゲハが一匹アジサイの上に舞い、花に彩りを添えていた。

「誰彼構わず自分の汚点を披歴するな、恥を隠し通すのも人生だ。少しは見栄を張れ、君には自尊心がない。それは個性ではない無恥だ」と言いながらも、自分史を書いてくれと、会社員だったころの先輩から広告業を自営していた男に依頼があったのだ。見栄を張れとか直截的な意見をくれる先輩上司は自分にはない出世頭の見本だったろう。親しかった先輩後輩の仲、取材を兼ねて自宅に誘う。翌日は植物公園の散策の後、参道の蕎麦屋にて会食をしながら話を聞く。何度か重ねるうちに、親しみ以上の間柄に…。取材の中身も彼は自分の貧困時のことはひたすら隠していたい、自分とは違い誇り高い先輩だった。余生も終わるころだと言いながら、六本木の高級マンションに自宅兼事務所を購入したことなどの成功譚を、男は聞き取り、念願の遺書代わりの本の代筆をしたのだ。

 彼の言葉を裏付ける様に出版社の編集者にも言われたことは「この文章はプライドのない方が書いたものですね」だった。意味が分からなかったが、ほかの仕事先でも言われたのは「つまらないミスは自尊心、誇りが許さないはずですよ」とはスーパーの販促チラシ作成のレイアウト担当者だった。自営の広告業だったころの男は、その自分史出版後、高齢で先輩が逝ってしまったころから、その上司の指摘通りいい加減な仕事ぶりや生き方が気になって、それがプライドのなさなのかと朧気ながらも自覚するようになったのだった。勿論開き直りも目覚めていた。自尊心、プライドが何の役に立つ、なくても生きていける、ない方がいい。
 
深大寺参道入口付近にあった園芸店経営の喫茶室で、何年間だったろうか、「モーツアルトの夜」と題して、道楽の室内楽演奏を何人かで毎週やっていた。何のコンセプトもなく、プライドとか誇りの抜け落ちていた男は、今度は参道にある貸画廊にて「ブナ林その四季」と銘打って油絵個展をやりだした。妻も受付に借り出してやったものの、大した評判も取れなかった。仕事そっちのけであちこちのブナ林写生旅行を気ままに一人で行ったことなども含めて「好きなことばかりやって、商売の広告業はどうするの」、などとたしなめられた妻の言葉も、横に置いてさて次は何をしよう………。

 果たして自営業は倒産した。借金三昧の末、心労で、愛する妻はふろ場で、ヒートショック現象による脳出血で死亡。いい加減な性格で見栄など微塵もない男を残して。日常から逃れられるといった安堵の穏やかな妻の表情は今でも男は忘れない。葬儀の時、男は会葬者へのろくな挨拶もできないで泣くばかり、うろたえている親の挨拶文言の後を引き続いて冷静を繕ってくれていた息子に代弁してもらったのを覚えている。

そして「モーツアルトの夜」での以前から男の知り合いの女性ピアノ弾き。小淵沢から、謝礼はせいぜい深大寺蕎麦の接待だけで、高速道路を駆って調布インターまで毎週来てくれた、妻にはない音楽の感性豊かなピアニスト。何年かデュオを続けてくれた後、しばらく交流が途絶えたのちに、何が原因か、自殺したとの連絡が入った。自分のどんなへたくそなフルート演奏にも、毎回快く伴奏をこなしてくれたピアニスト、小淵沢の小海線が見える歩道橋の上から飛び降りたのだった。家庭や本人に何があったのか、自分とも関わっていたのかと思うと、男は連絡をくれた娘さんの声を聴きながら嗚咽して悔やみの言葉すら出て来なかった。妻、ピアニストとも同じように男は二人を愛していた。

 また建築家で学生時代からの親友。初詣に、深大寺参詣に案内したことがあった。「モーツアルトの夜」にも顔を出してくれたり、個展「ブナ林その四季」にも来てくれたりの友だった。その友人も、妻やピアニスト同様に愛した男だった。数年後、彼はパーキンソン病と診断され、間もなく亡くなった。パーキンソンになったと知った友人へのお見舞いの時、「スポーツマンだったお前が、こんな姿になるとは…。もうこれを最後に、見舞いに来られない。お前の悲しい姿をこれ以上見るのが、辛くて」と男は言いながら、友人の手を強く握り、熱く抱擁し慟哭を残して部屋を後にしたのだった。

 見栄を張れと指摘してくれた上司も、アスリートの親友も、ピアニストも、そして妻もなぜか自分と深大寺を背景にかかわって逝ってしまったのは事実だった。深大寺境内一隅に祀られている元三大師お堂の入口付近、なんじゃもんじゃ大樹の木陰で地元の合唱団とともに男は、フルート演奏をさせてもらったこともあった。その時の演奏は、なぜか大師堂にも響き渡るよう意識していたのを思い出す。以来男は妻を亡くしたころからその大師、座主を身近に感じ始めていたのだった。少なくとも普通以上に愛していた他者を、自分から次々と引きはがされていくつらさ。思い出すたびに男は、めぐりあわせを恨み、これも自分の自尊心のなさからくるのかと、不甲斐ない日々の悔恨に苛まされていたのだった。

 参道近辺にはよく出没していたが、深大寺山門をくぐったことが数えるほどしかなかったのをふと思い出す。なんじゃもんじゃ大樹の木陰での演奏くらいで挨拶もなくこの不届き者とは、良源様も言わないだろうと、軽んじていたことを男は恥じたりもしたのだった。
南門から入ると水車が、ザブン、ゴツンと音を立てている。いつだか初詣に来た時利用した蕎麦屋さんの入口だ。前景は亀島弁財天池、中の島には晴れてもいないのに亀が甲羅干し。その静寂を壊すように突然青大将が飛沫を残して泳いでいった。獲物の蛙を追いかけている。「こら、こんなところで殺生はやめろ」と男はつぶやいて山門へと向かった。梅雨時の平日だった。人もまばらで、恨み辛みをいうのではなく、愛する者たちを昇天させてくれたお礼参りにはもってこいの日和に違いなかった。お礼参り、なんという自分らしい言葉、と男は複雑だがそんな気持ちになっていた。自分だけがさみしい思いをするだけで、皆が幸せになれたのだと思えばいい。今自分もストレスのない、プライドも見栄も必要のない日が送れる、皆の分も時間はたっぷりある、寂しいが死ぬまで。

本堂に手を合わせた後、緑葉茂るなんじゃもんじゃ大樹を横目に、元三太師堂へ登っていく。誰がいようと呟いてお参りすればいい。しかし誰もいなかった。静謐とはこんなことを言うに違いないと思いながら、男は担いでいた世帯道具一式の入ったリュックを下ろし、少し微笑んで手を合わせるのだった。やや大きめな声で「ありがとう」。すると突然、ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝わってきた。暗灰色の空から水滴が落ちてきたかのように。

 男を揶揄するのか、先ほどの二羽のカラスがお堂の屋根の上でわめいていた。男は流れる涙を抑えきれずに、布切れを取り出して、顔一面拭うのだった。「余生幾ばくも無い自分でも、今まで通り老若男女まだ人を好きになる。だがまた一人残されて辛い思いをするのか」そう思った瞬間だった。良源の活動した平安時代へタイムスリップするように、導師の全貌が頭の中を駆け巡ってくるのだった。先輩上司や同級生の友人、そして小淵沢のピアニスト。何より四十年も連れ添い、よき子を生んでくれた妻。自分が愛した、それら他者の面影、挙措、笑み、すべてが良源和尚と一つになって男の小宇宙の中で、輝いているのだった。「そうだ、自分はこれから、元三大師と親しくなればいい。みんなを愛したように座主を恋人にすればいい。不謹慎な片思いでも、立派な恋だ。自分と同じように花鳥風月老若男女誰をも愛せる導師が見放す訳がない」あの凛々しい相貌、まさに抱擁する為にある厚く逞しい胸板。先輩上司や親友にきっと瓜二つ、自分がタイプの最後の恋人だ。これでもう死後も独り残されることはない。欣喜雀躍、男は更にそう呟いて天を仰いだ。

 いつの間にか暗雲が裂け、一筋の日差しがお堂の斜め端から差し込んでいたのだった。誇りや自尊心と無縁の男にも注がれる光背、それは恋のオーラに違いなかった。<了>

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