主に文芸書などの読後感想をメインに
独断と偏見大いにありで呟いていこうと思います。
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なぜか昨日、高橋和巳のことが思い出された。39歳にて逝去。「わが心石にあらず」もう一度読み返してみようか。
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まだ源氏物語読み終えていない。通勤にて読むのを怠っていたわけだ。再び読むことにした。決意のほどをブログに載せる滑稽さ、笑ってくださいな。
今、俳句に凝っています。物理的には17文字でやさしいのですが、さてさて20枚の小説より果たして・・・。それが楽しくてやっています。物書きには大いなる研鑽作業でしょうか。皆さんもぜひ参加してここにお寄りください。
三浦哲郎さんが逝去した。拳銃と16(7?)の短編集が忘れられない。珠玉の俳句集のような名編群落だった。ドラマドラマしていない日常のスケッチ。小説よりも奇なりの文学的日々を気づかせてくれた。身近にモチーフがたくさん転がっているといったゴッホだ。今劇画化された物語がビジネスになるのだ。不況は文化をも枯渇させてしまうのは周知。体に悪くてもうまければたくさん売れる。食すれば食すほど原因不明の病気がはびこる。医療業界は繁栄できる。文化や命をないがしろにした繁栄がはびこるのが昨今。もちろん、しかしおおもとの宇宙は黙ってはいない。100年サイクルの高温化が、徐々に短縮されてくるのだろう。いつの間にか来年か、再来年か!それこそ大人気の劇画の世界だ。
08年10月19日、日本橋高島屋にて開催中の柳原白蓮展へ行った。林真理子作「白蓮れんれん」の先入観を持って出かけたものだ。華族からの脱却から愛にのみ生きたという波乱に満ちた歌人の愛あふれた生涯展である。筑紫の女王として君臨していた彼女が、すべてをなげうって帝大生龍介とかけおちするといった流れが、林真理子の史実に沿った物語とほぼ一緒であった。活字だけで見ていた、九州の炭鉱王、と帝大の宮崎龍介の写真展といってもいいか。同伴した女房の言だ。「見なければ良かった。下品と詠われた炭鉱王伊藤伝右衛門の容姿と言い分のほうがまとも。龍介さんという人は駆け落ちするほどのオーラは感じられない!」同感だ。華族という一切の不自由のない物質生活が後、欲するものといえば、愛だけなのかしら、一度そんな決意に至る心情に見舞われてみたいものであった。なお隣のコーナーでは、美智子妃殿下の「愛のある日々」展もやっていた。こちらのほうがはるかに自然でよかったような気がする。めぐり合わせは、何かの法則でできているものなのだろうから。
(20・10・26文芸)
このところ読んでいる本はない。村上春樹の「ノルウェイの森」も移動電車の中では、爆睡に代わった。これではバイバイするまでにいったい後何冊読めるかなと思うと、苦笑いが浮かぶ。時間を作らなければ、やはり読めないと知ったこのごろである。文学全集の「金井美恵子」をまた読み続けようかなと思う。基本的に読書は好きではないのかな?(20・8・2文芸)